2010年10月17日日曜日

彩雲?

福岡市の都市高速を走っているときに彩雲らしきものをみつけた。
写真ではわかりずらいが、5色程度にきれいに分かれていた。
太陽は左のフレームの外。
太陽を挟んで反対側にも彩雲らしきものが見えた。
ネットで調べてみると、暈の一部の可能性もあるが、よくわからなかった。
彩雲は仏教関連では瑞兆とされる。合掌。

2010年9月26日日曜日

「哲学的な何か、あと数学とか」



 フェルマーの最終定理をめぐる360年にわたる数学者たちの苦闘を描いた本。
 実際に証明が確認されたのは1995年とつい最近。当時は大学生だったが数学に詳しくもなかったため、証明されたことの意義はニュースを聞いてもわからなかった。

 この本では詳しい証明の中には入らないものの、証明の方向性が触れられている。
 一見無関係そうな楕円曲線の考えを利用し、背理法でフェルマーの最終定理を証明したことを初めて知る。
 この歴史的偉業に日本人数学者たちの研究も生かされていることを知り驚いた。
 
 何より印象に残ったのはフランスの数学者ソフィー。女性でありながら女人禁制の学校にもぐりこみ最終定理証明に一歩近づく業績をあげた。だれかマンガ化してくれないかな。フランスでもMANGAはやっているそうなのででフランス人自らマンガ化してくれるといいんだけど。

 ワイルズによる証明の発表のシーンでは涙がこぼれた。数学の本を読んで泣くとは思わなかった。
 ところがその発表した証明に致命的な欠陥が見つかる。
 「事実は小説より奇なり」を地で行く展開に最後までハラハラした。

 無機的な数式には、数学者たちの人生と熱意がこもっていることを実感した一冊。


2010年8月15日日曜日

飴買い幽霊















 皆さんは「飴買い幽霊」というお話をご存じだろうか。
 臨月で亡くなった母親が、埋葬された後に棺桶の中で生まれた子供のため夜な夜な幽霊となり飴を買い求めるという話で全国各地に伝わっている。
 今年の2月に福岡市に転勤してきて会社の近くを散策していて偶然近くの安国寺というお寺に飴買い幽霊の墓があることを知った。
 京都には飴買い幽霊が買いに来た飴屋が現存するそうだが、墓があるのは私がインターネットで調べた限りではここだけである。
 お盆でもあることだし(?)参拝してみた。
 天神のかなり大きなお寺だが、境内は全く人気がない。本堂の脇にそのお墓はあった。
 見たことないような奇妙な形の自然石のお墓。
 向かって左にくっついている石にはかすかに「童女」の戒名が刻まれている。
 そう、寺の伝承によれば当時住職によって棺桶のなかで発見された赤ちゃんは間もなく息を引き取ったという。
 そのため改めて母子ともに葬られたのであろう。

 死してなお子を思う親の心に瞑目する。

 全国に伝わる同類型の話では、赤ちゃんは助かりのちに高僧となるパターンが多いのだが、この寺に伝わる話は悲しい結末となっている。

 なぜ、この話を思い出したのか。きっかけは最近の例のニュースである。鬱になるので自分の意識からシャットアウトして見ないようにしていたが、それでも事件の詳細が入ってきてやりきれなさが募る。
 子供を育てた方ならお分かりだと思うが、ゼロ歳児はこまめに世話をしなければすぐに死んでしまう。報道通り複数回にわたり長期間2人で放置されたことが事実であるなら、何らかの形で上の子が下の子の面倒を見ていたとしか考えられない。さみしかったろうに。ひもじかったろうに。

 亡くなった幼い2人の魂に幸あらんことを祈る。
 
 

2010年7月25日日曜日

壱岐訪問







壱岐 猿岩












 仕事の関係で壱岐に。金曜日の夜にフェリーで初めて行った。
 壱岐に到着したのは午前3時前。港の駐車場で仮眠する。
 仕事は朝イチで片づけ、復航の時間まで壱岐を観光。
 金曜日まで壱岐に行くとは思っていなかったので、何の情報もなく壱岐に来てしまったのだが、
 土産物屋で調達した観光地図を片手に車で走りまわった。

 壱岐は、神話と歴史が入り混じった不思議な島。魏志倭人伝の「一大国(一支国)」は壱岐であるという説もある。
 現在確認されている古墳の数も260あまり。島の中央部にある鬼の窟では、古墳内の玄室内部が観察できる。こんな小さな島でこれだけの大規模な土木工事ができたことに驚く。人手も少なかったろうに。
 元寇の際の激戦地でもあるが、その遺構は今回見なかった。時代が下って秀吉の朝鮮出兵時の城の遺構もある。
 日本史の勉強にはもってこいの島だな。
 
 さて、写真は壱岐西部の海岸にある「猿岩」その名のとおり猿の姿をした巨岩だ。
 壱岐島内の各所に猿岩への方向を示す看板があるのだが、その看板の絵よりも実際の岩のほうが写実的。よく見ると鼻の穴や口、まつ毛まである。
 横顔は猿だが、正面から見るとただの岩というところも興をそそられる。
 今度は家族でこよう。
 

2010年7月19日月曜日

狗留孫山修禅寺



下関市修禅寺本堂







 実家の近くの狗留孫山修禅寺(くるそんさんしゅぜんじ:山口県下関市)へ参拝に。
 父と弟、娘の4人で行く。家族でお参りに行くのは20年ぶりぐらいではないだろうか。娘は初めて。
 山の中腹にある駐車場から徒歩で山道(整備されてはいるが)を小一時間かけて登る。
 子供のころはよく連れられてきたものだが、よく登っていたものだ。真夏に来るものではないな。

 お寺のサイトを見て初めて知ったのだが、このお寺は奈良時代の東大寺建立でしられる行基菩薩が開基とのこと。それ以外にも平安時代の弘法大師空海、鎌倉時代の栄西禅師など日本仏教史の代表格の僧侶たちによって守られてきた。
 近くに住んでいながら、まったく知らなかった。

 ちょうど本堂にたどりついた時に、御祈祷が始まったので本堂内に入って拝観した。

2010年7月17日土曜日

本州最西端


毘沙ノ鼻展望台(本州最西端)









山口県下関市にある本州最西端の毘沙ノ鼻へ行ってきた。

山口県に生まれ育ったのだが36年目にして初めてだ。

福岡から高速に乗り、下関ICで降り、国道191号を北上。30分ほど走り案内板に従い左折。

細い山道を登り到着した。

小高い山の上に展望台があり、300度くらいの視野。ちょうど梅雨明けで天気晴朗。まさに絶景。

海の向こうの北九州も見える。

目を北に転じると長門市まで見える。これだけいいところならもっと早くくればよかった。


2010年7月13日火曜日

「地上最強の哲学入門」

 






表紙イラストがインパクトありすぎるが、中身はまっとうな哲学入門。
 よくあるカタログ式の哲学者紹介本ではなく「真理」「国家」「神」「存在」の各テーマごとに古代ギリシャから現代までの綺羅星の如き哲学者たちの「討議」としてとらえなおしている。

 哲学というとカビ臭く普段の生活ではなんの役にも立ちそうにないが、現代日本の政治経済の混迷、ニートの登場や格差拡大が既に過去の哲学者たちによって予言されていたことを知った。
 たとえばマルクスの「人はなぜ働かなくてはならないのか」という問いにあなたは明確に答えられるだろうか。またニーチェが説く「神なき世界」に現れる無気力な「末人」とはまさに我々自身のことではないか。
 この状況を変えるためには自ら新たな「哲学」を生み出すしかないと強く感じた。「哲学」とは過去の遺物ではなく未来を切り開く鍵となるのだ。

 学校では教えてくれない哲学者本人の逸話も豊富で面白い。社会契約論のルソーは露出狂のダメオヤジだったとは・・・。逆にスコラ哲学のトマス・アクィナスは18歳の時に聖職者(童貞が条件)になることを親に猛反対され監禁された揚句、裸の少女まで送り込まれたのに耐え抜いたという。私だったら絶対無理!アウグスティヌス同様「下劣な情欲に燃え上がって」しまうのは必定。

 バキファンにはもちろんバキを知らない方にもお勧めです。